尺八始めました

尺八を始めたきっかけや動機について書いてみたいと思います。(自分の初心に対する備忘録の意も込めて)

昔ケーナの音色に魅了されて、一時期入手して練習していたのですが、どうにも音が出ず挫折してしまいました。吹けば音が出るリコーダーと違って、自分の唇で息の太さや向きをコントロールする必要があるため、そうそう簡単には綺麗な音は出てくれません。

同様に尺八にも憧れがありましたが、尺八自体が高価で敷居が高かったため、まずはケーナで音を出せるようになったら始めようと思っていました。しかし、ケーナで挫折してしまったため、結局尺八のスタートラインにさえ立てないまま、時間だけが経過しました。

ケーナで挫折してからは、リコーダーやオカリナに注力していましたが、年月を重ねるうちに、また海外の文化に触れる機会が増えたこともあり、ある思いが次第に大きくなってきました。

それは、「理想的な自分とのギャップ」と、「日本人としてのアイデンティティ」です。

「理想的な自分とのギャップ」というのは、簡単に言えば、鏡に写っている自分と、自分が思い描いているかっちょいい自分像とが、一致していないという話です。

理想像を一人挙げるとすれば、サムライギタリストのMIYAVIさんです(ヒェ!恐れ多し!)。それに対して、鏡の中でリコーダーを吹いている自分は、どちらかと言えば三枚目のコメディアンです。そういう自分は嫌いじゃないですし、むしろ好きな方だと思うのですが、じゃあこの人のライブに行きたいか?ってなると、なんかちょっと違うわけです。

所詮素人なので、ギャップがあるのは当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが、それでも鏡で見てもそこそこ様になってる自分も欲しいわけです。

もちろん、コメディアンな演奏を支持してくれる人もいるでしょうし、それ自体は自分としても最高に気持ち良い状態なのですが、せめて自分が観客になりたいって思えるようになろう、と思ったわけです。主観と客観ですね。どちらも大切にしたいので、そのコンビネーションがちょうどいいんじゃないかな、と思う今日この頃です。

次の「日本人としてのアイデンティティ」というのは、海外に出た時に感じた、自分って何者?といった問いに対する答えのようなものです。

外国の文化や人と触れる機会のある方は、少なからず同じようなことを感じたことがあるのではないでしょうか。自分って日本人なわけですが、日本って色々ネガティブなことも言われますが、最高にオリジナリティに溢れていて、めっちゃ面白くて、本当に素晴らしいことが沢山ある国です。

ずっと日本にいたら、まず気付かないんじゃないでしょうか。当たり前すぎて。おそらくどんなに自分は個性が無いと思っている人でも、普通に日本で生まれ育った人であれば、既に日本人というオリジナリティ溢れる個性の塊だと思います。

自然、気候、食、文化、教育、衣装、遊び・・・全てがオリジナリティに溢れています。自分たちの超当たり前が、海外の人にとっては興味深いことなのです。

そんなことに気付くと、これまでの、もっと個性を磨いていこうといった見方が少々変わってきて、折角なんだから日本人としての特徴を何か活かせないかな、ということを考えるようになるわけです。即ちそれは、磨かなくても既に持っていた個性への気付きのようなものです。

「理想的な自分とのギャップ」と「日本人としてのアイデンティティ」。世界中どこへ行っても喜んでもらえて、その中の一人として喜んでいる自分もいる、そして何よりも自分の魂が心から楽しんでいる、そんな素晴らしいものが何かないものだろうか、と考えた時に頭に浮かんだものが尺八でした。

日本の伝統文化であり日本のアイデンティティ、天然素材である竹の節や根を生かした無骨な外観、それに縦笛であること、更には、5つの穴しかないシンプルな構造であるが故に、全音階とその間の無限の音を奏でるために求められる技能。唯一足りないものは、それを演奏するための自分の技能。。。

ならばやるしかないな、と。

大いに立派な動機は整ったものの、尺八に関しては偉大なる初心者。音も出るか分からないし、そもそも楽器がありません。まずは入門用の尺八を購入し、師匠を探して入門、となるわけですが、詳しくはまた別の記事にまとめたいと思います。

(尺八教室入門の記事はこちら)

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